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12:20:09
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人はなぜ音楽を必要とするのか⑥

今回はGreat 3の片寄明人氏について

片寄氏は、Chocolat & Akito、Great 3 などでの音楽活動の他にも、近年は新進プロデューサーとして
"Sister Jet"や"フジファブリック"など、数多くのミュージシャンを手がけています。

見える不安、見えない不安に覆い尽くされそうな現実の中、なんとか日々もがきながらもコミットし、
「死」を前提に自分はどう生きるべきか、を探している人へ。

多くの人に共有し、それぞれで感じてもらえたら。。
片寄氏にリスペクトを込めて。

                  CURVE ナカムラ


では、以下 片寄さんの文章です。

フジファブリック 10
August 3, 2010


富士Qイベント前日、ほとんどの出演ミュージシャンがリハーサルのため、前もって現地入りしていた。
僕がこの会場に来るのは2度目だった。1度目はおそらく98年、Great3として、奥田民生さんや
ブランキー・ジェット・シティとの共演だったと思う。
そう言えば、その時のライブを当時まだ10代だった志村くんが観に来たのかどうか、僕は一度も彼に
尋ねたことがなかったことを思い出した。

まだ客席に誰もいない会場はとにかく大きく、すっかりその広さを忘れていた僕は圧倒された。
明日は16000人以上の人が色々な想いを抱えて、ここを埋め尽くすんだ。
そう思うと身が引き締まるような思いがした。

リハーサル後に宿泊ホテルで開催された食事会には、志村くんが愛した、
そして志村くんを愛するミュージシャンが勢揃いしていた。
もちろん全員が顔見知りであるはずもなく、初めはそれぞれ所在なさげにしていたが、
お酒が入るにつれて、だんだんと互いに打ち解けて、話しを始めた。

リハーサルが長引き、到着が遅れていたフジの3人が輪に混じった頃には、会場の雰囲気はとても温かく、
和やかなムードに包まれていた。話題の中心はもちろん志村くんとの想い出話だった。

僕のいたテーブルには、吉井さん、フミヤさん、民生さん、和田くん、倉持くん、クボくん、コウセイくん、
などがいつのまにか集っていたと思う。
同行して会場の隅にいたショコラに真心の桜井くんが「これだけボーカル顔の奴ばっかりが揃ってると
壮観で笑っちゃうね」と言っていたそうだが、まさにその通りの光景だった。

お酒が進むにつれて、なぜか話題がだんだんと下ネタになってしまったのも面白かった。
民生さんが「こんな面子が集まって、なんで下ネタ話してるんだよ。きっと志村のせいだ!」と言って、
みんなで笑った。
確かに志村くんは恋愛上手であったとは到底思えないが、とにかくエッチな話しが大好きな奴だった。
僕も好きな方なので、よく2人でくだらない話しや妄想を披露しあっては爆笑したっけ、と懐かしく思った。

もちろん話題は下ネタばかりではない、誰もが志村くんの書く曲の素晴らしさを語り、そして彼の曲を歌うことの
難しさと緊張も同時に語っていた。
おそらく明日は全員がその力の限りを出し切って、フジファブリックの曲を彼の代わりに歌う覚悟でいたはずだ。

食事会を1次会で切り上げた僕は、ホテルの部屋にこもってギターを抱え、何度も自分の担当する曲を練習した。
深夜になり、飲み物を買いにホテルの廊下に出ると、どこかの部屋から誰かが同じように練習している歌声が
聴こえてきた。

翌朝、目覚めた僕はカーテンを開けた。正面にはそびえ立つ美しい富士山が見えた。
年末に訪れた時には白く雪化粧していた富士山だったが、今回は打って変わって緑に覆われていた。
どうやら心配された雨の気配もまったく無さそうだった。
早朝からたくさんの人が次々に会場へと集まっていく様子が窓から見えた。
僕らは昼食に吉田うどんを食べてから、会場入りしようと決めた。

そして志村くんの積年の想いが込められたフジフジ富士Qがスタートした。
内容はきっとあちこちで素敵なレポートが発表されていると思うので、僕が語るまでもないだろう。
とにかく不思議なほどに素晴らしいイベントだった。

これだけの個性的なメンバーが集まっているのに、誰1人自分のエゴを前面に出す者などいなかった。
別に誰も言葉にはしなかったが、全員の想いが一つであることがひしひしと感じられた。

誰もがリハーサルの時とは比べものにならないくらいの気迫で挑んでいることは明白だった。
それぞれの才能と、底力の凄さに僕は感動した。
出演者全員がそれぞれのパフォーマンスを舞台袖や、アーティスト・ルームのスクリーンを通して見守り、
出番が終わり舞台裏に戻ってくるたびに、皆が大きな拍手で迎えていた。

あまり邦楽を知らなかった僕に「片寄さん、カッコイイから聴いてみてくださいよ」と、よく志村くんが
教えてくれたアーティスト達が次々とステージに上がって行き、彼の曲を歌っていた。
志村くんの嬉しそうな笑顔が頭の中に何度も浮かんだ。

観客の方たちの中には、出演者それぞれが自分の持ち味を全開にさせながら歌っているにも関わらず、
その歌声に志村くんの存在を感じた人も多かったのではないだろうか。
吉井さんが「志村くんの曲は、やっぱりどこか彼風の歌い方をしないと、うまく歌いこなせないよ」
と話していたが、確かにそれは言えていた。
しかしこの日はそれだけでなく、僕には歌った全員に志村くんが重なって見えた。
それはまるでみんなが依り代となって、彼を天から降ろしたかのように思えるほどだった。

七色に輝く雲が、美しい夕焼けが、真っ白な三日月が、そして富士山がまるで奇跡のようなタイミングで
演奏を彩り続けた。
そしてフジファブリックの演奏は、まさに鬼気迫る、この特別な舞台にふさわしい素晴らしいものだった。

僕の出番は夕暮れ時だった。
担当する曲は、メンバーのリクエストで「花」と「サボテンレコード」となった。
この日のために僕は「花」で志村くんが弾いたGibson J-50のアコギと、僕がレコーディング時に吹いた
ハーモニカを持参していた。
Puffyの演奏をステージ袖で見守りながら、僕は志村くんを想い、瞼を閉じた。

ダイちゃんに名前を呼ばれ、ステージに出て、メンバー全員と目でうなずきあった。
16000人で埋め尽くされた客席が美しい夕焼けで茜色に染まり、正面には荘厳な富士山が僕らを見守っていた。

「花」では高ぶる想いから、声が震えるのを隠せなかったが、うまく歌おうなんてことは、もうどうでもよかった。
僕にはただ、志村くんへの想いと祈りを込めて歌うことしか出来なかった。

「サボテンレコード」は、もし今レコーディングしたなら、きっとこんな風に仕上げただろうと思えるアレンジだった。
フジファブリックのうねりまくる凄まじい演奏に、いつの間にか僕は我を忘れるほどに興奮し、高揚したテンションが
頭の先から爪先まで駆け抜けていくのを感じた。
憶えているのは、予定していた範囲を大幅に超えて動いてしまったため、おそらくギターのシールドが抜けたこと、
そして気がついたらマイクに向かって叫び声をあげていたことだけだ。

歌い終えた僕は、幸せな感情とせつない感情に引き裂かれそうになり、泣き笑いのような状態でステージ袖に戻ってきた。
やり場のない興奮で身体が震えていたが、出演者のみんなが「よかった!」と声をかけてくれて、
ようやく現実に戻れた気がした。

マネージャーの大森さんが駆け寄ってくれて「片寄さん、ありがとうございました!」と頭を下げてくれた。
彼女はフジファブリックの母親ともいえる存在の女性だ。
志村くんは家に遊びに来るたびに「大森さん、ホント僕に色々うるさいんですよね~」と、よく笑いながら話していたが、
その言葉とは裏腹に、志村くんがどれだけ彼女を信頼し、愛情を持っているのかが伝わってきて微笑ましかったものだ。
そして大森さんがこの富士Qのために捧げたであろう想いの深さは、僕なんかには到底想像も出来ないほどだった。
彼女の存在無くしては、このイベントもあり得なかったことだろう。
「こちらこそ、本当にありがとうございました」と僕も深く頭を下げ、アーティスト・ルームへと戻った。

僕はそれまで我慢していたワインをボトルごと掴んで、3分の1程を一気に飲みほしてから、
後に続いた吉井和哉さん、くるりの素晴らしい演奏を観に、ステージ袖に戻った。

そしてアンコール。
志村くんがいない3人でのフジファブリックによる想いの込められた演奏で、新曲「会いに」が披露された。
ボーカルを担当したのは総くんだった。
未だ「MUSIC」が聴けていなかった僕は、初めて聴く志村くんのメロディーと彼らの真摯な演奏に引き込まれた。

僕は知っている。本当に本当に、この3人は素直で優しくて、ピュアで、才気溢れる連中なんだ。
彼らを襲ったこの悲しい試練、そしてそれに勇敢に立ち向かう姿を目の当たりにして、僕は胸がいっぱいになった。

最後にすべてを引き受けるかのようにステージへ上がって行ったのは、志村くん最愛のミュージシャンでもある
奥田民生さんだった。
袖でPuffyの2人から「顧問!泣かないでよ!」と声をかけられ、「やめろよ~」とおどけていた民生さんだったが、
その目は笑っていなかった。
精魂込めて歌われた名曲「茜色の夕日」を聴いて、ステージ袖ではローディーを初めとするスタッフや出演者の多くが
涙をこらえきれなくなっていた。

そしてすべての演奏が終わった。
始まってみれば、あまりにも濃厚で、あっという間に過ぎてしまった4時間だった。
フィナーレを飾る花火を観に、出演者全員が楽屋から駆け出し、子供のような叫び声を上げた。
誰もが笑顔で、イベントの成功を讃え合っていた。

きっと出演者やスタッフも、そして集まった16000人のお客さんたちも、どういった心でこの日を迎えたらよいのか、
本当のところは始まってみないと、誰も分からなかったんじゃないだろうかと思う。
みんながみんな心のどこかで複雑な感情を抱えて、この場に集まっていたに違いない。
しかし最後をこうして笑顔で迎えられたことに、そしてこんなにも素晴らしいイベントとなったことに、
僕は本当に感謝したい気持ちだった。

「片寄さん!」声をかけられて振り向くと、そこには志村くんの御家族全員が立っていた。
志村くんによく似た可愛い御姉妹が大きな瞳に涙をためながら、それでも笑いかけてくれた。
心のこもった感謝の想いを伝えていただいた僕は、何も言えず、ただ深く頭を下げ「ありがとうございました」
と答えるのが精一杯だった。
お父さんが「いつかゆっくり家に遊びに来て下さいね」と言ってくれた。
ぜひいつの日か御実家を訪ねて、僕が知らない志村くんの話をたくさん聞き、彼の元に花を捧げたいと思う。


志村くん、君の不在は、とても多くの人の心に大きな波紋を投げかけたままだと思う。
すべての物事に意味があると信じるならば、僕らが君との哀しい別れから学ぶべきことは何なのだろうか。

突然君がいなくなって、僕は思い知らされたことがある。
それは1秒ごとに、僕らが確実に死へと向かって歩んでいるという揺るぎない事実だ。

40年以上も生きてきたくせに、僕はそのことを一度も真剣に考えたことがなかったように思う。
過去を後悔し、未来の不安に怯え悩むことで、今という大切にすべき一瞬を無駄に浪費する日々。
端的に言えば、それが僕の歩んできた人生だったのかもしれない。
そのことに気がついた時、僕は恐怖で慄然とした。

「死」を意識せずに、本当の意味での「生」を感じることは出来ないのかもしれない。
今までの人生、「死にたい」と思ったことは数限りなくあったが、それは今思えば浅はかなレベルで
すべての考えが思考停止していたようなものだった。

生死の観点からすべてを見ることが出来た時、人は囚われていた悩みや不安の小ささを知り、
そんなものが自分自身の心を傷つけていたことの馬鹿馬鹿しさに気づき、あらゆる物事への執着を手放し、
他人に自分がどう思われているのか気にすることもなく、文字通り「今に生きる」ことができるのではないだろうか。

確かに29年という年月は残酷なほどに短すぎる。
しかし君は愛する音楽にすべてを捧げ、過去への郷愁に後ろ髪を引かれながら、そして未来への不安と対峙しながら、
それに呑み込まれることなく、すべてを創作へと転化させることで、今を燃やし尽くすように、濃く、太く
生ききったのだと思う。
きっと最後の瞬間まで、君の頭の中は創るべき音楽のことでいっぱいだったはずだ。
語弊を恐れずに言うなら、僕は心のどこかでそんな君の生き様を羨ましく思っているのかもしれない。

君との別れを経て、僕はたくさんのことを考えた。
まさか自分がどこかの陳腐な歌詞みたいに「生かされていることに感謝」できるようになるとは思ってもいなかったが、
「死」がある日突然に僕らの襟首を掴むことを思い知り、それと同時に今、現在、この目に映るものすべてを初めて
心の底から愛おしく、大切に思えることを知った。

もちろんそう考えたところで日常は何一つ変わらないし、悩みや不安も次々と形を変えて心の中に巣くうものだ。
きっと最後の時まで、僕も悟ることなく七転八倒の日々を送ることだろう。
だからこそ、この先の人生、僕は「死を友人として」生きていこうと思う。
常にそれを自分の背後に感じることで、むしろ虚無的にならず、現状のすべてがまさに「有り難い」ことに気づく。
そしてどんな苦悩も、できる限り明るく受け止められるようになりたい。

生きていることは、決してあたりまえのことではなく、あらゆる物事には意味がある。
もしかしたら僕らは、そのことを学び、そしてそれを楽しむために生まれてきたのではないだろうか。

志村くん、なぜ僕はこんなにも長い文章を綴らざる終えなかったのだろう。
なにも答えなど考えずに、ただ引きずられるようにここまで書いてしまった気がする。

僕は君のことが、そして君の創る音楽が大好きだった。
勝手に弟のように思っていたんだ。
もう君に逢えないことが、本当に寂しい。

アルバム「フジファブリック」をレコーディングした2004年から、早いもので6年が経った。
音楽業界の不況も相まって、現場の制作費は縮小の一途を辿り、今では新人があの頃のレコーディングのように
商業用の大きなスタジオで何日も徹夜して試行錯誤する余裕など、ほとんど無くなりつつある。
ここに書いたような想い出も、いつか旧き良き時代の記憶となってしまうのかもしれない。

フジファブリックとのレコーディングがきっかけとなって、僕にはプロデューサーというもう一つのキャリアが出来た。
あの頃に比べれば経験も積み、今は実務的な悩みは少ないけれど、特に新人のバンドやミュージシャンと関わるときは、
いつも重い責任やプレッシャーを感じてしまう。
個性を殺さず、音楽的に礎となるような作品を創り、かつ結果を出し、先に繋げてあげなければならない。
それはある意味で彼ら自身の大切な人生を背負うほどに重要な仕事だと思っているからだ。

キャリアを積んだミュージシャンとのレコーディングはもちろん勉強になるし、素晴らしく楽しい経験であるが、
初期衝動に充ち満ちた若いミュージシャンとの仕事には、またそれと違った魅力がある。
それは本当に刺激的で、逆に自分が色んなことを学ばせてもらっているような気になるほどだ。

時折、音楽に対して自信を失いそうになる時は、よく心の中で志村くんに話しかけてしまう。
君とアイディアを出し合って刺激的な曲を創り出した日々を想い出し「また僕に力を貸してくれないか」と願う。
そうすると不思議なことに、思ってもいなかったアイディアが舞い降りてきたりするんだ。

どんなに予算が厳しくタイトなレコーディングでも、自分で好きになれない「安い音楽」だけは創りたくない。
この先何が起きようと、僕は覚悟を決めて、あの頃と同じような熱意で挑み続けようと思う。

この6年でフジファブリックは素晴らしいバンドに成長した。
その姿を富士Qで目の当たりにして、僕は本当に、本当に嬉しく思った。
あの3人が今後どういった形で活動を続けていくのか、まだ僕は詳しいことを何も聞いていないけれど、
ミュージシャンとしての彼らに、ものすごい可能性があることだけは間違いない。

富士Qでの、様々なボーカリストに合わせて変幻自在にその演奏を微妙に操りながらも、自分たちの個性を
そのままに押し出してくる彼らの演奏能力を目の当たりにして、僕はとても驚かされた。
それはきっと志村くんのような音楽的に幅の広い嗜好を持った天才のリクエストに長年応え続けた成果に違いない。

もし今、自分がソロ・アルバムを創るとするならば、間違いなくフジファブリックとの共演を望むことだろう。
Bob Dylanと活動したThe Bandや、James TaylorにおけるThe Section、日本で70年代に活躍したティン・パン・アレー
のように、彼らには自分たちのアルバムもリリースしながら、様々なミュージシャンとのセッションでも素晴らしい
アルバムを創ることができる才能があると思うから。

志村くん、君は君を愛する人たちの心に、そして君が残した音楽の中に、いつまでも生き続けることだろう。
君はいつも自信の無さに打ちひしがれていたけれど、いま何十万人もの心が君を想い続けていることを知り、
どれだけ自分が、そして自分の音楽が愛されていたのかようやく気づいて、やっと心の底から安心できたんじゃないかな。

富士Qが終わり、この文章を書き終えることで、そろそろ僕も前を向いて歩き出さなければいけないと思う。
君と出逢えて、君と共に音楽を創ることができたことに、僕は本当に感謝している。
またいつか君に逢える日まで、最後の時まで、もう一度頑張ってみるよ。

僕たちは、音楽が無ければうまく生きていくことができなかった人間同士だった。
今も君が、この部屋の、このソファーにもたれかかり、集中してステレオから流れる音を聴いていた姿が見える。
君のことを忘れるなんて、絶対にありえないな。

やっと心の準備ができた。
さぁ「MUSIC」を聴かせてもらおう。

片寄明人
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